慈恩寺は、南北朝時代には、南朝方の支配下にあったそうですが、集落名の由来となった慈恩寺は、玉列神社の神宮寺だったそうで、創建の時期は明らかではないですが、南北朝の争乱によって廃寺の憂き目にあい、現在は、阿弥陀堂を残すのみとなっています。 境内には付近の伊勢街道沿いから移した石仏や道標が多数置かれており、大ケヤキと庭の苔と石仏が良いハーモニーを奏でています。
先日の雨からひっついているのかな? 優しいお地蔵さんも、次の雨が降るまで居候させ...
本日七日盆です。 朝5時から夕方5時まで、 8日は朝6時から正午まで、慈恩寺のお...
慈恩寺の数少ない紫陽花が満開です。 昨日のゲリラ雷雨によりツユに濡れた紫陽花。 ...